けんちゃなよの人生において「空海」が記憶として出てきたのは、日本史の受験勉強で「空海は高野山 金剛峯寺に真言宗」「最澄は比叡山 延暦寺に天台宗」よく覚えておくように!ただの丸暗記でした。 中学生か高校生の僕にとって、興味はこれっぽっちもありませんでしたね。
まさか、社会人になってから、また「弘法大師・空海さま」にお会いするとは・・・
こうして覚える「空海」と「最澄」
「鳴くよウグイス平安京」の平安時代に新しい仏教の教えを広めたのが「空海」と「最澄」です。なかなか覚え難くて、試験でも正解し難いところです。では簡単な覚え方をけんちゃなよが伝授致します。平仮名にします。
- くうかいは、こうやさん こんごうぶじに、しんごんしゅう
そうです、平仮名の「こ」「ご」に関連があるのが空海です、そして完璧に覚えてしまうと「最澄」とはごちゃまぜになりません
いきなり!黄金伝説
お遍路さんをしていると、若き僧侶「空海さま」の様々な伝承に触れることでしょう。 姿を変えたり、病気を治したり、湧水したり、大きな岩を持ち上げたり、はたまた山中で火のなか龍と戦ったりと・・・。 巡礼しながら「すごいなぁ」と思いつつ「本当だろうか?」と思ってしまったりしますよね。
基本的にこれらの伝承は、後の世代の「伝道者」によって「神格化」して信仰のありがたさを訴える目的で「フィクション」として形成されていったものが多いんでしょう。
「弘法大師・空海さま」は、日本史の教科書に出てくるくらい凄い人ですので、四国の山に籠って修業をしたことは「史実」でしょう。
その後「遣唐使」として中国の唐へ行き「密教」としての悟りを開いて、帰国後「日本仏教の礎」を築いたことは、現代に至るまでの「揺るぎのない功績」です。
きっと、色々な所で、沢山人助けをしてきたのでしょうね。
ことわざに出た「弘法大師・空海」
弘法大師・空海は、書道の名人でした。現存するものは「聾瞽指帰(ろうこしいき)」「灌頂歴名(かんじょうれきめい)」「風信帖(ふうしんじょう)」の3つしかないとされており、いずれも国宝となっています。
弘法も筆の誤り
弘法筆を選ばず
「名人は、良い品質の筆でも、たとえ悪い筆だろうと、素晴らしい字を書く」ということわざです。 たとえ下手くそでも、道具のせいではないよと。名人や達人は、道具や材料が悪くても、立派に努めを果たします、事をやり遂げてしまうということです。
スーパー生涯年表
空海とは、青年期は悩むものの、まっすぐに仏教を突きつめ唐から「密教」を日本に伝えた第一人者です。マルチな才能を発揮し、現在でもまるで生きているかのように慕われている平安時代のカリスマです。
西暦 | 年齢 | 出来事 |
774 | 1 | 誕生 |
792 | 18 | 官僚になるため猛勉強 |
794 | 20 | 仏教に魅力を感じ始める |
804 | 31 | 遣唐使として長安へ行く |
806 | 33 | 20年の予定を2年で切り上げ帰国 |
816 | 43 | 高野山を朝廷より賜る |
821 | 48 | 満濃池の改修をする |
823 | 51 | 東寺を賜る |
835 | 61 | 入定(死没) |
921 | - | 醍醐天皇より「弘法大師」賜る |
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